東京地方裁判所 平成7年(刑わ)758号 判決 1998年5月26日
主文
被告人を無期懲役に処する。
理由
【背景事情】
一 被告人の身上、経歴
被告人は、東京都において、開業医を営む父A2と薬剤師の資格を持つ母A3との間に六人兄弟の第五子として出生し、昭和四六年三月、慶應義塾大学医学部を卒業した後、医師国家試験に合格し、心臓外科医として、アメリカ合衆国デトロイト所在の病院、栃木県、茨城県内の病院に勤務し、その間、昭和五五年七月、麻酔医であったA4と結婚し、二人の子供をもうけた。
被告人は、多くの患者の死に接するなどして、医療の限界を認識するうち、仏教に興味を抱き、釈迦の説く解脱こそ世の中のすべての問題を統一的に解決する法則であり、自分も解脱して人々を救いたいと考えるようになった。被告人は、昭和五二年四月、阿含宗の前身である観音慈恵会に入信して修行を続け、その後、オウム真理教(以下「教団」という。)の創始者であり代表者であるBの著書を読んだことをきっかけに、Bの下で修行を積めば解脱できると信じて、平成元年二月、教団に入信し、さらに、平成二年五月、全財産を布施として教団に寄付し、妻子とともに出家した。その後、被告人は、教団内において、修行を行ったり、教団の「AHI」(アストラス・ホスピタル・インスティテュート)と称する医療部門で医療活動を行うなどし、平成六年六月末ころ、教団において国の行政組織を模倣した省庁制が採用され、「自治省」「科学技術省」「建設省」等の内部組織ができたのに伴い、「治療省大臣」の肩書を与えられ、「治療省」の責任者として活動していた。
二 教団の活動状況
1 教団の設立
Bは、昭和五九年二月ころ、ヨーガの修行等を目的とする「オウム神仙の会」を発足させ、昭和六二年七月ころ、「オウム真理教」と名称を変更し、平成元年八月、東京都知事から宗教法人の認証を受けて、宗教法人オウム真理教の設立登記をした。
2 教団の拡大
教団は、シヴァ大神を主宰神として衆生の魂の救済を目的とし、教団に入信し出家して修行を積めば解脱することができるなどと説き、全国各地に支部や教団施設を設立するなどして、積極的に信徒獲得活動を行った結果、解脱を希求する多数の者が教団に入信し、出家する者も増加した。Bは、超能力の持ち主である「最終解脱者」と自称し、自らを教団内における絶対的存在で、崇拝の対象と位置付けて、信徒に「尊師」と呼ばせ、原始仏教やチベット密教の教えを取り入れた独自の教義を説き、解脱に至るには、Bに帰依した上、Bの命令を忠実に実践し、功徳を積むことが必要であると説いていた。そして、教団は真理を実践する唯一の団体であり、人々を教団に入信させ出家させて解脱に導くことは救済活動の一環であるとしていたことから、教団による信徒獲得の方法は、行き過ぎることも少なくなく、時として、拉致や監禁等の違法な手段を用いたり、全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウム、LSDや覚せい剤等を用いたりしていた。
3 教団の武装化
Bは、かねてより、漠然と、政治的、宗教的権力を一身に掌握したいという野望を有していたところ、平成二年二月施行の衆議院議員総選挙において、真理党を旗揚げして他の教団幹部とともに立候補したものの、B自身を含む全員が落選の憂き目に会い、これを契機として、社会や国家権力に対する反感を強め、このころから、毒性の強い細菌を無差別、大量に撒布することを目論み、「細菌兵器」と称して、ボツリヌス菌の採取、大量培養等を教団幹部に命じたが、その目論見は失敗した。しかし、Bは、教団のロシアへの進出に伴い、軍事情報の収集を行わせるなどし、平成五年春ころ、ロシア製を模倣した自動小銃、毒ガス等の武器や化学兵器の開発、製造を教団幹部に指示し、教団の武装化を本格的に開始した。
一方、Bは、平成四年ころから、信徒に対し、近い将来、全世界的な最終戦争が勃発し、人類の大半が死亡すると予言したり、教団が真理を実践する唯一の集団であるがために、教団を潰そうとする反対勢力から攻撃を受けていると説くなどし、教団の防衛のために反対勢力と戦うことが重要であり、Bの指示があれば人を殺すことさえも「ポア」と称して正当化させるという内容の教義を説法で繰り返していた。
4 サリンの生成
Bは、平成五年春ころ、後に教団の「科学技術省大臣」となったCを介し、大学院で有機物理化学を専攻した信徒で、後に教団の「第二厚生省大臣」となったDに対し、毒ガスの大量生成に関する研究、開発を行うように指示し、以後、Dが中心となって、猛毒の神経ガスであるサリンに関する研究、実験が進められ、その結果、同年一一月ころ、サリンの標準サンプル約二〇グラムの合成に成功し、平成六年二月には、サリン約二〇キログラムを生成するに至った。一方、Bの指示により、サリンの大量生成を目的とする化学プラントの設計、建設が進められ、同年八月ころ、山梨県西八代郡上九一色村(以下「上九一色村」という。)所在の「第七サティアン」において、サリン生成化学プラントの主要部分が出来上がり、同年一二月下旬ころまでには、サリン生成化学プラントが完成して、サリンの量産体制が整った。ところが、平成七年一月一日、上九一色村にある教団施設付近からサリンを生成した際の残留物質が検出された旨の新聞報道がなされたことから、Bは、サリン生成の事実を隠蔽するため、Cらに指示して、「第七サティアン」をシヴァ神像で隠すなどの擬装工作を施し、生成したサリンや原料の薬品類を処分させ、その際、後に教団の「法皇内庁長官」となったEがサリンの原料であるメチルホスホン酸ジフロライドの一部を処分せず、クーラーボックスに入れて、隠匿しておいた。
【犯行に至る経緯及び犯罪事実】
(第一の犯行に至る経緯)
教団の「治療省」においては、平成六年六月ころから、信徒に全身麻酔薬を投与して半覚醒状態に陥れ、質問を発して心の中の屈折した部分等を探り当て、教団の教義に基づいてこれを解きほぐす「バルドーの悟りのイニシエーション」と称する非医療行為が行われており、その際に使用する注射用チオペンタールナトリウムは、教団の医療部門「AHI」を介して業者から購入していたころ、同年七月以降、「バルドーの悟りのイニシエーション」を受ける信徒が増加した上、注射用チオペンタールナトリウムを用いたスパイ・チェックが始まり(「バルドーの悟りのイニシエーション」とスパイ・チェックは、「ナルコ」と称されていた。)、さらに、同月末ないし同年八月初めころから、教団の「法皇官房」においても、注射用チオペンタールナトリウムを投与して教団の教義の定着度を確認するイニシエーションが開始されたことから、注射用チオペンタールナトリウムの使用量が急増し、注文量が多すぎると業者から不審に思われるため、注射用チオペンタールナトリウムを大量に購入しにくい状況となった。
そこで、被告人は、同年九月、教団の「治療省大臣」の立場から、Bに対し、注射用チオペンタールナトリウムを業者から大量に購入することは困難であり、教団内で使用する注射用チオペンタールナトリウムが不足してきた旨の報告をしたところ、Bは、同月末ころ、被告人も同席する中で、化学薬品の研究、開発等を担当する信徒で、後に教団の「第一厚生省大臣」となったF及びDに対し、注射用チオペンタールナトリウムを製造するように指示し、両名がこれを承諾した。その後、Fの指示を受けたDらは、同年一〇月中旬までに、チオペンタールナトリウムの標準サンプルの合成に成功し、さらに、Fは、自ら又は教団の「厚生省」所属の信徒に指示するなどして、実験を繰り返し、同年一一月上旬ころまでには、合成、精製、分注の各工程からなる注射用チオペンタールナトリウムの製造工程を一応確立した。
(罪となるべき事実)
第一 被告人は、B、F、Dら多数の者と順次共謀の上、いずれも厚生大臣から医療品製造業の許可を受けた者でないのに、業として、平成六年一一月上旬ころから平成七年二月中旬ころまでの間、上九一色村富士ケ嶺九二五番地の二所在の教団施設「クシティガルバ棟」及び上九一色村富士ケ嶺九二五番地の一所在の教団施設「ジーヴァカ棟」において、エチルマロン酸ジエチルエステル、ニーブロモペンタン、チオ尿素、金属ナトリウム等を用いてチオペンタールナトリウムを生成した上、これに炭酸ナトリウムを添加し、医薬品である注射用チオペンタールナトリウム約一七〇〇グラムを製造した。
(第二の犯行に至る経緯)
G1の実母G2は、平成元年五月、教団に入信し、平成六年七月、長男G3とともに教団に出家した後、静岡県富士宮市にある教団施設に居住し、かつて芸能界にいたことから、主に教団の広告塔として活動していた。G2は、かねてより、自分の長女G1も教団に出家させたいと強く願っていたが、出家の意思のないG1にこれを拒まれており、平成六年一一月、教団の「東信徒庁長官」のHに相談して、G1を東京から上九一色村にある教団施設まで連れてきてもらったが、数日後、G1が東京に戻ってしまった。しかし、G2は、どうしてもG1を教団施設で修行させて出家させたいと考え、同年一二月初めころ、再度、Hに対し、G1を教団施設に連れてきてほしい旨の依頼をしたところ、Hは、教団の広告塔であるG2が安心して教団活動に専念できるようにと考えて、G2の依頼を引き受け、そのころ、被告人、H及び教団の「諜報省長官」のIの三名は、G1を上九一色村にある教団施設まで連れてくる方法について順次話し合い、G1が教団施設まで来ることに応じない場合には、被告人が用意する睡眠薬を使うなどして教団施設まで連行することを決めた。そして、被告人は、教団の「治療省」所属の薬剤師であるJを自動車の運転手として使うこととし、Jにこれを頼んだ。
(罪となるべき事実)
第二 被告人は、H、I、Jら多数の者と順次共謀の上、G1(当時一九歳)を教団施設に連行して監禁しようと企て、平成六年一二月五日午後六時過ぎころ、東京都武蔵野市吉祥寺南町一丁目三〇番一号山基マンション四〇四号室G1方において、被告人及びHがG1に虚言を用いて睡眠薬入りのジュースを飲ませ、さらに、被告人が全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウムの溶解液をG1の右腕に注射して昏酔状態に陥れた上、IらがG1を右マンション脇の路上に駐車させておいた小型貨物自動車に運び入れ、Jが同車を発進させ、同日午後一〇時ころ、上九一色村富士ケ嶺三九番地一―二所在の教団施設「第六サティアン」に到着するまで疾走し、その間、G1が同車から脱出することを不可能にし、引き続き、平成七年一月二三日までの間、「第六サティアン」において、被告人がG1に注射用チオペンタールナトリウムの溶解液を点滴投与するなどして意識障害状態等に陥らせるとともに、信徒らがG1を「第六サティアン」の「シールドルーム」と称する個室に閉じ込めて監視するなどし、もって、G1が「第六サティアン」から脱出することを不可能にして監禁した。
(第三の犯行に至る経緯)
Kは、教団の在家信徒として登録されていた者であったところ、平成六年一二月一〇日、教団施設に来て二、三日静養すればよいという信徒の甘言に乗せられ、上九一色村にある教団施設に連れてこられ、「第六サティアン」や「第一〇サティアン」に滞在していたが、数日後、二、三日静養するという約束で来たのだから家に帰りたいと信徒に言ったものの、教団施設から帰ることも、自宅へ手紙の発信や電話連絡をすることも許されなかった。その後、Kは、教団の「治療省」に配属され、「第六サティアン」に留め置かれたため、「治療省」所属の信徒らに自宅に帰りたい旨再三頼んだが、「ちょっと待って。」などと言われるだけで相手にされなかったことから、同月二七日、「第六サティアン」から逃走を試みたものの、「治療省」所属の信徒らに取り押えられて、失敗に終わった。
(罪となるべき事実)
第三 被告人は、教団の「治療省」所属の医師であるL1、同省の看護婦であるL2ら多数の者と順次共謀の上、教団施設から神奈川県内の自宅に帰宅することを希望するK(当時二三歳)を教団施設に監禁しようと企て、平成六年一二月二七日から平成七年一月一五日までの間、前記所在の教団施設「第六サティアン」において、信徒らがKの手足を押さえ付けるとともに、被告人がその後頭部を片手で押さえ付けた上、被告人が無理やり全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウムの溶解液を投与して意識障害状態に陥らせ、信徒らがKを「シールドルーム」と称する個室に閉じ込め、外から施錠して監視するなどし、引き続き、同月一五日ころから同年三月二一日までの間、信徒らがKを「第六サティアン」の北側に設置された二個のトラック用大型コンテナを連結させた施設内にある「独房」と称する個室に閉じ込め、外から施錠して監視するなどし、さらに、同月二一日から同月二二日までの間、信徒らがKを上九一色村富士ケ嶺九二五番地の一所在の教団施設「第一〇サティアン」に移して監視するなどし、もって、平成六年一二月二七日から平成七年三月二二日までの間、Kを右各教団施設から脱出することを不可能にさせて監禁した。
(第四の犯行に至る経緯)
M1の実妹M2は、平成五年一〇月、ヨーガの修行を行うために教団に入信し、平成六年三月ころから平成七年一月中旬ころまでの間、教団に対する布施として約六〇〇〇万円を寄付した。Hは、M2がゴルフ会員権や不動産等の多額の財産を有していることを知り、M2を出家させて全財産を布施として教団に寄付させようと考え、平成七年一月中旬ころから、自ら又は信徒を使って、M2に出家するよう執拗に勧誘を始め、同年二月中旬、イニシエーションを受けることを強引に承諾させた上、イニシエーションで使われた薬物の影響で意識障害状態に陥ったM2に無理やり出家することを約束させ、以後、M2は、準出家信徒として、東京都港区南青山所在の教団の「東京総本部」の道場に寝泊りさせられていた。
M2は、目的のためには手段を選ばず、何をするか分からない教団に対し次第に恐怖感を募らせていたところ、このままでは無理やり出家させられて全財産を布施と称して教団に取り上げられてしまうという危機感を抱き、教団から脱会することを決意し、同月二四日、口実を作って「東京総本部」の道場から外出し、M2に対し、これまでの経緯を説明した上、教団から脱会することを相談し、以後、知人宅に身を隠すなどしていた。
一方、M2の担当の信徒から、M2が「東京総本部」の道場から外出したまま一切連絡がないという報告を受けたHは、同月二六日から翌二七日に掛けての深夜、教団の「自治省」所属のN、教団の「諜報省」所属のOらとともにM2の行方を探したが、手掛りがつかめなかった。そこで、Hは、M2の親族からその居場所を聞き出そうと考え、同月二七日、Nらとともに、当時M1が事務長をしていた目黒公証役場に赴き、M1がM2の実兄であることを知って、M1を尾行するなどし、その後、Iが教団の「諜報省」所属のPの運転する自動車でやって来てHらと合流し、M1が尾行を警戒するような不審な行動を取っており、M2が匿われている可能性が高いなどと話し合った。
同月二七日から二八日に掛けての深夜、上九一色村の「第二サティアン」三階の「尊師瞑想室」において、B、C、H、I、Nらが集まり、H及びNがBに対し、M2が失踪して監禁されている可能性が高いことや、M1の行動が不審であることなどを説明すると、Bは、Nらに対し、M1を拉致してM2の居場所を聞き出すように命じ、犯行の具体的方法、実行者等を指示した。その際、Bが実行者の一人にEを指名したので、Iが別室にいたEにM1を拉致する際M1を麻酔で眠らせるように依頼した。同月二八日朝、I及びNは、教団がアジトとして使用していた東京都杉並区今川四丁目所在の民家(以下「杉並アジト」という。)に移動し、Iは、Oらに対し、犯行の際に使用する自動車をレンタカー会社から借りるように指示した。そして、I、N及び後から合流したEの三名は、地図等を見ながら、M1を拉致する場所について話し合い、目黒公証役場付近で実行することとした。これと相前後して、Iは、P及びOらに対し、M2の居場所を聞き出すためにM1を拉致する旨の犯行計画を明らかにした上、これに加わるように指示した。
(罪となるべき事実)
第四 B、I、Eら多数の者が順次共謀の上、M1(当時六八歳)を拉致しようと企て、平成七年二月二八日午後四時三〇分ころ、東京都品川区上大崎三丁目四番一号付近路上において、歩行中のM1に対し、Nらがその背後から身体を抱えるなどし、付近に停車させていた普通乗用自動車の後部座席に押し込んだ上、直ちにOが同者を発進させ、車内において、Eが全身麻酔薬であるケタラールの溶解液を右足のふくらはぎに注射して意識喪失状態に陥らせた上、全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウムの溶解液を点滴投与して意識喪失状態を継続させ、同日午後八時ころ、東京都世田谷区粕谷一丁目二五番都立芦花公園に接する路上において、Nらが意識喪失状態にあるM1を別の普通乗用自動車に移し替えた上、Pが同車を発進させ、疾走する自動車内において、EがM1に注射用チオペンタールナトリウムの溶解液を点滴投与して意識喪失状態を継続させながら、同日午後一〇時ころ、上九一色村富士ケ嶺一一五三番地二所在の教団施設「第二サティアン」に到着し、中にM1を連れ込んだところ、そのころ、Eに呼び出された被告人は、Eらから、M1を「第二サティアン」まで連行してきた経緯について説明を受けたことから、B、E、Iらと共謀の上、M1の監禁を継続しようと企て、引き続き、同年三月一日午前一一時ころまで、「第二サティアン」において、被告人、次いでEが、M1に注射用チオペンタールナトリウムの溶解液を点滴投与し、意識喪失ないし意識低下状態を継続させるなどして、M1を「第二サティアン」から脱出不可能な状態におき、もって、平成七年二月二八日午後四時三〇分ころから同年三月一日午前一一時ころまでの間、M1を不法に逮捕監禁し、同年三月一日午前一一時ころ、「第二サティアン」において、投与したチオペンタールナトリウムの副作用である呼吸抑制、循環抑制の状態における心不全ないしは呼吸停止等によりM1を死亡させた。
(第五の犯行に至る経緯)
一 教団に対する疑い
前記第四の犯行直後から、教団による関与が疑われ、Bらは、教団の犯行であると発覚することに危機感を募らせていたところ、捜査の進展に伴って、右犯行に使用された自動車が特定され、車内から事件関係者のものと思われる指紋が検出された旨の報道がなされるに至り、平成七年三月中旬ころには、右犯行に関連して警察が教団施設に強制捜査を実施することは不可避な情勢であると認識し、このような情勢の中、警察の強制捜査を回避するには、大規模な事件を起こして警察や社会を混乱に陥れるしかないと考えていた。
二 Bの指示及び謀議の状況
1 Bは、平成七年三月一七日から翌一八日に掛けての深夜、東京都杉並区にある教団経営の飲食店において、C、I、F、教団の「法務省大臣」のQらとともに食事会を催し、話題が警察の強制捜査に及んだ際、B及びQは、近々警察が教団施設に強制捜査を実施する可能性が高い旨の発言をした。
同月一八日未明、右食事会の終了後、上九一色村にある教団施設に向うリムジンの中において、B、C、Iらが警察の強制捜査を阻止する方策について話し合っていた際、Cが地下鉄にサリンを撒くことを提案し、BとCとの間で、サリンの揮発性について話し合うなどした後、Bは、Cに対し、Cの総指揮で地下鉄にサリンを撒布する計画を実行するように命じ、これを承諾したCが、右計画の実行役として、いずれも教団の「科学技術省」に所属するR、S、T及びUの四名を挙げると、Bは、右四名のほかに被告人も実行役に加えるようCに指示した。
2 Cは、同日明け方ころ、「第六サティアン」三階にあるCの部屋に、被告人、R、T及びUを呼び出し、Bの指示であることを示唆した上、教団施設に対する警察の強制捜査を阻止するために東京都内の地下鉄の車内にサリンを撒くことを指示し、被告人ら四名がこれを承諾すると、さらに、三月二〇日朝の通勤時間帯に、警視庁に近い霞ケ関駅を通る地下鉄の車内で実行するなどの計画の概要を明らかにした。
C、I、R、T及びUは、同日夕方ころ、Cの部屋に集まり、地下鉄路線図等を参考にしながら、犯行計画について話し合い、三つの路線の五つの電車にサリンを撒くこと、午前八時に一斉に撒くこと、実行役は変装することなどを決めた。その際、サリンの撒布方法についても話し合われたが、決定するに至らなかった。また、RがCに対し、実行役を送迎する自動車の運転手の人選について提案したところ、犯行後電車が動かなくなった場合に実行役を逃走させることを考えたCは、運転手役の選定についてBの指示を仰ぐ旨答えた。また、Cは、同日夜、Cの部屋にやって来たSに対し、地下鉄にサリンを撒くように指示し、Sがこれを承諾した。
3 翌一九日昼ころ、C及びIが「第六サティアン」一階にあるBの部屋に行き、CがBに対し、実行役を送迎する自動車の運転手役の選定について指示を仰ぐと、Bは、Cに対し、P、教団の「自治省大臣」のV、いずれも「自治省」に所属するW、X及びYの五名を挙げるとともに、実行役と運転手役との組み合わせとして、被告人とV、RとW、SとP、TとX、UとYとすることを指示した。
その後、C及びIは、実行役及び運転手役の集合場所として、教団がアジトとして使用していた東京都渋谷区宇田川町所在の渋谷ホームズ四〇九号室(以下「渋谷アジト」という。)に決めるとともに、手分けして実行役及び運転手役に連絡することとし、さらに、Cは、Iに対し、犯行の際に使用する自動車を五台調達するように指示した。
4 R、S、T、Uらは、同日朝、上九一色村にある教団施設を出発し、「杉並アジト」に到着した後、実行役四名の間で、各自の担当する路線、乗降車駅、乗車位置等について打ち合わせをし、昼過ぎから、買物に出掛け、変装用の衣類、小道具等を購入したり、現地の下見に行くなどした後、Iの指示により、「渋谷アジト」に移動した。
5 同日午後八時ころ、被告人の除く実行役四名及び運転手役五名が「渋谷アジト」に到着し、同日午後九時ころ、I及び被告人が相前後して「渋谷アジト」に到着したところで、Iは、全員を集め、Bの決めた実行役と運転手役との組み合わせを伝えた後、Iが中心となって、地下鉄路線図等を見ながら、各自の担当路線、乗降車駅、乗車する車両、犯行時刻、同じ時刻にサリンを撒くこと、降車駅の直前で撒くことなど犯行に関する最終的な確認を行った。
その後、各自が乗降車駅等の下見に行ったり、犯行に使用する自動車を調達するなどした。
三 サリン生成の状況
Cは、平成七年三月一八日、Eに対し、地下鉄で使用することを説明した上、前記のとおりサリンの処分を行った際にEが隠匿していたメチルホスホン酸ジフロライドを使ってサリンを生成するように指示した。その後、Eは、Fにメチルホスホン酸ジフロライドの入った容器を手渡し、そのころ、Bは、Fに対し、サリンを生成するように命じ、さらに、翌一九日昼ころ、「早く作れ。」「今日中に作れ。」などと指示した。
これを受けて、F及びEは、Dの指導に従って、必要な器具や原料となる薬品類等を集め、「ジーヴァカ棟」のドラフトと称する強制排気装置の設置された実験室に器具等を設置し、同日夕方ころから、サリンの生成を開始し、Dの教示を受けながら、教団の「厚生省」所属の信徒にも手伝わせて、サリンの生成を行い、同日夜中ころまでには、透明な部分と茶色の部分の二層に分かれて、それぞれにサリン及びサリン以外の不純物を含有する混合液を生成した。そして、FがC及びBに対し、サリンの混合液ができたが、その分溜には半日以上掛かることを報告したところ、Bは、混合液のままでよいと言った。
その後、F及びEは、Cの指示により、三ツ口フラスコに入ったサリンの混合液をろ過した上、これを二〇センチメートル四方くらいのビニール袋に注入し、注ぎ口を圧着機で封をして、サリンの入ったビニール袋を一一袋作り、Fがこれを箱に詰め、Bの部屋に持参した。
四 サリンの撒布方法の指示、その予行演習をした状況等
Cは、平成七年三月二〇日午前一時ころ、実行役五名に対し、犯行に使用するサリンを引き渡すとともにサリンの撒布方法を指示するため、「渋谷アジト」から「第七サティアン」に至急来るように指示した。また、Cは、同日午前二時過ぎころ、Iに指示してビニール傘七本を購入させ、教団の「科学技術省」所属の信徒が、Cの指示に従って、傘の先端の金具部分をグラインダーで斜めに削って先を尖らせた。
一方、前記のとおり、Fがサリンの入ったビニール袋一一袋を詰めた箱をBの部屋に持参したところ、Bは、箱の底に手を触れて瞑想し、サリンに宗教上の意味合いを持たせる「修法」と称する儀式を行った。
Cは、同日午前三時ころ、「第七サティアン」に到着した実行役五名に対し、サリンを撒布する方法として、先を尖らせた傘の先端でサリンの入ったビニール袋を突き破ってサリンを漏出、気化させることを指示し、その場で、水の入ったビニール袋を傘の先端で突き刺すことをさせて犯行の予行演習を行わせた。
その後、実行役五名は、Cからサリンの入ったビニール袋一一袋及び先端を尖らせた傘約五本を受け取り、自動車二台に分乗して、同日午前五時過ぎころ、「渋谷アジト」に戻った。
実行役五名及び運転手役五名は、同日午前六時ころから午前六時半ころに掛けて、「渋谷アジト」を出発し、途中、新聞紙を調達してサリンの入ったビニール袋を包むなどした後、各自が担当する地下鉄路線の乗車駅に向った。
(罪となるべき事実)
第五 被告人は、B、C、I、F、D、E、R、S、T、Uら多数の者と順次共謀の上、東京都千代田区霞が関二丁目一番二号所在の帝都高速度交通営団地下鉄霞ケ関駅に停車する同営団地下鉄日比谷線(以下「日比谷線」という。)、同千代田線(以下「千代田線」という。)及び同丸ノ内線(以下「丸ノ内線」という。)の各電車内などにサリンを発散させて不特定多数の乗客らを殺害しようと企て、
一 平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田佐久間町一丁目二一番所在の日比谷線秋葉原駅直前付近を走行中の北千住発中目黒行き電車内において、Rがサリンの入ったナイロン・ポリエチレン袋三袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、サリンを漏出、気化させて電車内などに発散させ、秋葉原駅から東京都中央区築地三丁目一五番一号所在の日比谷線築地駅に至る間の電車内や停車駅構内において、Z1(当時三三歳)ほか一〇名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号1ないし8記載のとおり、同日午前八時五分ころから平成八年六月一一日午前一〇時四〇分ころまでの間、同区日本橋小伝馬町一一番一号所在の日比谷線小伝馬町駅構内ほか七か所において、Z1ほか六名をサリン中毒により、また、Z2(当時五一歳)をサリン中毒に起因する敗血症によりそれぞれ死亡させて殺害するとともに、別表二記載のとおり、Z3(当時三五歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から一〇三日間までのサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、
二 平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都渋谷区恵比寿南一丁目五番五号所在の日比谷線恵比寿駅直前付近を走行中の中目黒発東武動物公園行き電車内において、Sがサリンの入ったナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を、尖らせた所携の傘で突き刺し、サリンを漏出、気化させて電車内などに発散させ、恵比寿駅から前記所在の霞ケ関駅に至る間の電車内において、Z4(当時九二歳)ほか二名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号9記載のとおり、同日午前八時一〇分ころ、東京都港区虎ノ門五丁目一二番一一号所在の日比谷線神谷町駅構内において、Z4をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表三記載のとおり、Z5(当時六一歳)ほか一名に対し、それぞれ加療期間五八日間から三六日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、
三 平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都文京区湯島一丁目五番地八号所在の丸ノ内線御茶ノ水駅直前付近を走行中の池袋発荻窪行き電車内において、Tがサリンの入ったナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、サリンを漏出、気化させて電車内などに発散させ、御茶ノ水駅から東京都中野区中央二丁目一番地二号所在の丸ノ内線中野坂上駅に至る間の電車内において、Z6(当時五四歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号10記載のとおり、翌二一日午前六時三五分ころ、東京都新宿区河田町八番地一号所在の東京女子医科大学病院において、Z6サリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表四記載のとおり、Z7(当時三一歳)ほか二名に対し、それぞれ加療期間不詳から六一日間までのサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、
四 平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都千代田区神田駿河台三丁目先所在の千代田線御茶ノ水駅直前付近を走行中の我孫子発代々木上原行き電車内において、被告人がサリンの入ったナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、サリンを漏出、気化させて電車内などに発散させ、新御茶ノ水駅から同区永田町一丁目七番一号所在の千代田線国会議事堂前駅に至る間の電車内又は前記所在の霞ケ関構内において、Z8(当時五〇歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどし、よって、別表一の番号11及び12記載のとおり、同日午前九時二三分ころから翌二一日午前四時四六分ころまでの間、同区内幸町三番二号所在の浩邦会日比谷病院ほか一か所において、Z8ほか一名をサリン中毒により死亡させて殺害するとともに、別表五記載のとおり、Z9(当時二五歳)ほか一名に対し、それぞれ加療七三日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げず、
五 平成七年三月二〇日午前八時ころ、東京都新宿区四谷一丁目一番地所在の丸ノ内線四ツ谷駅直前付近を走行中の荻窪発池袋行き電車内において、Uがサリンの入ったナイロン・ポリエチレン袋二袋を床に置いて、先端を尖らせた所携の傘で突き刺し、サリンを漏出、気化させて電車内などに発散させ、四ツ谷駅から丸ノ内線池袋駅で折り返した後、前記所在の霞ケ関駅に至る間の電車内において、別表六記載のとおり、Z10(当時三七歳)ほか三名にサリンガスを吸入させるなどしたが、同人らに対し、それぞれ加療六〇日間から三七日間を要するサリン中毒症の各傷害を負わせたにとどまり、殺害の目的を遂げなかった。
なお、被告人は、平成七年五月六日、警視庁丸ノ内警察署において、第六の罪に関する取調べの終了後、司法警察員稲冨功に対し、第五の一ないし五の各罪について自白をした。
(第六の犯行に至る経緯)
前示のとおり、前記第四の犯行に関して、当初から教団の関与が疑われ、平成七年三月中旬ころには、犯行に使用した自動車が特定されるとともに、車内から事件関係者のものと思われる指紋が検出された旨の報道が相次いでなされるなどしたことから、Iは、右犯行が発覚すれば教団への相当な打撃になりかねないと懸念し、犯行に使用した自動車をレンタカー会社から借り出したOに対し指紋消去の手術を受けさせようと考え、Bの了解を得た上で、同月一八日未明、被告人にその旨の依頼をした。その後、Iは、Oに事情を説明した上、「第六サティアン」に行って被告人から指紋消去の手術を受けるように指示した。
(罪となるべき事実)
第六 被告人は、I、V、Y、教団「治療省」の医師のa1、オウム真理教附属病院の看護婦のa2、同医院の事務員のa3ら多数の者と順次共謀の上、Oが前記第四の犯人であることを知りながら、Oの逮捕を免れさせる目的で、平成七年三月一九日、前記所在の教団施設「第六サティアン」三階の「瞑想室」において、被告人、次いでa1が、Oの両手の母指、示指、中指及び環指の各先端部から皮膚を切除して指紋を消失させ、さらに、同月二一日から同年四月八日までの間、東京都中野区野方五丁目三〇番一三号かわこしビル二階所在のオウム真理教附属医院、東京都豊島区東池袋三丁目一番五号サンシャインシティプリンスホテルの客室、石川県金沢市香林坊二丁目一番一号金沢東急ホテルの客室及び石川県鳳至郡穴水町字根木一四の六三番一三貸別荘「千里浜荘」において、Oを宿泊させて匿い、その間、これらの場所等において、Oに変装用の婦人服、婦人用かつら、婦人靴等を供与して変装させ、被告人が、Oの顔面に整形手術を施して容貌を変えるとともに、Oの両手の小指の先端部から皮膚を切除して指紋を消失させるなどし、もって、犯人を蔵匿するとともに隠避させた。
【証拠の標目】<省略>
【事実認定の補足説明】
一 平成七年四月二八日付け起訴状記載の公訴事実(判示第三の事実)は、Kに対し「頭部等を多数回殴打するなどの暴行を加えた」という行為を掲げているが、当裁判所は、そのような暴行の事実を認定せず、また、同年九月四日付け追起訴状記載の公訴事実(判示第四の事実)は、M1の死因として、「大量投与した全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制、循環抑制等による心不全」を掲げているが、当裁判所は、前示のとおり、「投与したチオペンタールナトリウムの副作用である呼吸抑制、循環抑制の状態における心不全ないしは呼吸停止等」と認定した。そこで、このように認定した理由につき、補足して説明する。
二 判示第三のKに対する殴打行為について
Kは、検察官の事情聴取に対し、被告人から後頭部を何発も殴られた旨の供述をしているのに対し、被告人は、捜査段階及び公判段階(東京地方裁判所刑事第五部平成七年刑(わ)第一二四四号第一〇回、第一二回公判期日)において、Kの後頭部を押え付けただけであって、頭部を殴打する暴行を加えたことはない旨の供述をしており、両者に食い違いが見られる。
まず、被告人の供述についてみてみると、その内容は、具体的である上、捜査段階から公判段階まで一貫しており、しかも、被告人は、真摯な反省に基づいて、自分の記憶している限りの真実を述べようという姿勢を貫いてきており、現に、他の公訴事実の関係では、自らに決定的に不利益になる事柄についても正直に供述していることにも鑑みると、被告人があえて虚偽の供述をしているとは考え難く、その信用性は高いということができる。他方、関係証拠によれば、Kは「第六サティアン」等の教団施設に監禁されている間、注射用チオペンタールナトリウムを投与しながら頭部に接続した電極に電流を通して記憶を消去する「ニューナルコ」と称するイニシエーションを受けていたことが認められ、K自身が、検察官の事情聴取に対して、「注射されて意識を失い、……毎日毎日閉じこめられた生活を送らざるを得ず、だんだんと記憶が薄れていっているという不安な思いをしていました。」「実際に記憶が薄れていくように感じており」と供述しているところに照らすと、Kが記憶を混同している可能性があり、Kの供述のうち、被告人から後頭部を殴られたという部分は、信用性が低いといわざるを得ない。そして、Kの供述以外に、被告人がKの後頭部を殴打したことを認定すべき証拠はなく、また、被告人以外の者がKの頭部等を殴打する暴行を加えたと認めるに足りる証拠もない。したがって、Kに対し、「頭部等を多数回殴打するなどの暴行を加えた」という行為については、これを認定しないこととした。
三 判示第四のM1の死因について
1 関係証拠によれば、被告人らがM1に注射用チオペンタールナトリウム等を投与した状況について、概略、以下の事実が認められる。
(1) Nらが平成七年二月二八日午後四時三〇分ころ東京都品川区内の路上でM1を拉致してから同日午後一〇時ころ「第二サティアン」に連行するまでの間、Eは、自動車の中で、M1にケタラールの溶解液三ないし四ミリリットル及び注射用チオペンタールナトリウム2.5グラムないし三グラムを投与して意識喪失状態を継続させていた。
(2) 被告人は、同日午後一〇時ころ、「第二サティアン」において、M1の管理を引き継ぎ、その後翌三月一日午前三時ころまでの間は、全身麻酔薬等を投与せずにいたが、同日午前三時ころから約三〇分間、M2の居場所を聞き出すためにM1に「ナルコ」を実施し、その際、0.3グラムないし0.4グラム程度の注射用チオペンタールナトリウムを投与し、その後、EにM1の管理を引き継ぐ同日午前九時ころまでの間、二度にわたり、一〇ミリグラムないし二〇ミリグラムの注射用チオペンタールナトリウムを投与した。
(3) 同日午前九時ころ、被告人からM1の管理を引き継いだEは、注射用チオペンタールナトリウムを投与するなどしていたが、同日午前一一時前ころ、M1の口にエアウェイを挿入して側を離れ、約一五分後にM1の側に戻ったところ、既にM1は死亡していた。
2 一方、被告人は、M1を管理していた際の状況について、①「第二サティアン」に運ばれてきた直後のM1の状態は、血圧、脈拍、呼吸等から判断される心肺機能は安定しており、腎、肝等の代謝活動も正常であり、特に異状な所見は認められなかったこと、②その後、「ナルコ」を実施するまでの間、M1の心肺機能、代謝活動、意識状態等に十分配慮しながら、医学的見地から適切な管理を行い、「ナルコ」開始前のM1の状態は、流涙、瞳孔の拡大等の所見が見られ、意識は回復していなかったものの、麻酔から覚醒した状態であったこと、③「ナルコ」を終了した後も、M1に対し、前記②と同様、医学的に適切な管理を行い、Eに引き継いだ時点では、M1の状態に異状は認められなかったことを供述している。
被告人の右供述の信用性について検討すると、関係証拠から認められる麻酔時の患者に対する管理方法に照らし、その内容に特段不合理な点は窺われない上、被告人が医師として豊富な臨床経験を持つ上、注射用チオペンタールナトリウムの扱いにも慣れており、さらに、前示のとおり、被告人が真実を述べようという姿勢を貫いてきたことなどに照らしても、被告人がことさら自己に有利になるように供述しているものとは考え難く、その信用性は高いというべきである。
3 以上を前提にM1の死因について検討すると、確かに、「第二サティアン」に連行されるまでの間にM1に投与された注射用チオペンタールナトリウムの量は、前記1(1)のとおりであって、多量であったということができるが、その後被告人がM1の管理をEに引き継ぐまでの間に約一一時間という長時間が経過しており、その間にM1に投与された注射用チオペンタールナトリウムの量、その代謝量、前記②、③のとおりのM1の身体の状態等に鑑みれば、M1の管理をEに引き継ぐ前に、M1がチオペンタールナトリウムの大量投与の影響によりそれ自体で生命に危険を及ぼすような状態に陥っていたということはできない。一方、EがM1を管理していた状況に関しては、関係証拠上不明な部分が多く、この点が明らかにならない以上、M1の死因を明確に特定することはできないというべきである。そして、bの供述を含む関係証拠によれば、M1の死因として、EがM1の口に挿入したエアウェイが原因で咽頭痙攣や舌根沈下等を起こし、これにより窒息したことが可能性として考えられる一方で、Eの管理状況次第では、チオペンタールナトリウムの副作用による呼吸抑制又は循環抑制がM1の死の直接的な原因となった可能性も否定できないところであり、仮に、咽頭痙攣や舌根沈下等を起こしていたとしても、被告人及びEが投与したチオペンタールナトリウムが呼吸中枢や循環中枢に作用してこれらの機能を低下させていたという可能性も存するのであるから、チオペンタールナトリウムの副作用による呼吸抑制又は循環抑制も少なくとも間接的にM1の死に寄与していたものと認めるのが相当であり、したがって、判示のとおりの死因を認定した。
【法令の適用】
被告人の判示第一の所為は包括して平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、薬事法八四条二号、一二条一項に、判示第二、第三の各所為はいずれも旧刑法六〇条、二二〇条一項に、判示第四の所為は同法六〇条、二二一条(二二〇条一項)に、判示第五の一ないし四の各所為のうち各殺人の点はいずれも同法六〇条、一九九条に、各殺人未遂の点はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第五の五の各所為はいずれも同法六〇条、二〇三条、一九九条に、判示第六の所為は包括して同法六〇条、一〇三条にそれぞれ該当するところ、判示第五の一は一個の行為が一一個の罪名に、判示第五の二は一個の行為が三個の罪名に、判示第五の三ないし五はいずれも一個の行為が四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により判示第五の一ないし五についてそれぞれ犯情の最も重いZ1に対する殺人罪の刑、Z4に対する殺人罪の刑、Z6に対する殺人罪の刑、Z8に対する殺人罪の刑及びZ10に対する殺人未遂罪の刑で処断することとし、判示第四の罪については同法一〇条により同法二二〇条一項所定の刑と同法二〇五条一項所定の刑とを比較し、重い傷害致死罪の刑に従って処断することとし、各所定刑中判示第一、第六の各罪についていずれも懲役刑を、判示第五の一ないし五の各罪についていずれも死刑を選択し、被告人は判示第五の一ないし五の各罪について自首したものであり、かつ、後記のような諸事情を考慮すれば、減軽するのが相当であるから、同法四二条一項、六八条一号を適用して法律上の減軽をし、判示第五の各殺人罪及び殺人未遂罪についていずれも無期懲役刑を選択するが、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条二項、一〇条により犯情の最も重い判示第五の四のZ8に対する殺人罪の刑で処断し他の刑を科さないこととして、被告人を無期懲役に処し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。
【量刑の理由】
一 本件は、教団の「治療省大臣」の地位にあった被告人が、多数の教団幹部らと共謀の上、大量の注射用チオペンタールナトリウムを無許可で製造し(判示第一の事実)、G1及びKを教団施設等に監禁し(判示第二、第三の各事実)、M1を逮捕監禁して死亡させ(判示第四の事実)、無差別大量殺人を企図して、地下鉄にサリンを発散させ、多数の乗客らを殺害するとともに重軽傷を負わせて殺害の目的を遂げず(判示第五の一ないし五の各事実。以下「地下鉄サリン事件」という。)、M1を拉致した犯人であるOを蔵匿し、かつ、隠避した(判示第六の事実)という事案である。
量刑の理由を示すに当たり、本件各犯行のうち最も犯情の重い地下鉄サリン事件から言及することとする。
二1 地下鉄サリン事件は、Bや教団幹部らが、平日朝の通勤時間帯に、東京都内を走る地下鉄の複数の電車内において、一斉にサリンを発散させ、乗客ら一二名を殺害し、多数の者に重軽傷を負わせて殺害の目的を遂げなかったというものである。
Bらは、M1を拉致した事件が教団の犯行であると発覚することを恐れ、警察の教団施設に対する強制捜査を阻止するため、首都中心部を大混乱に陥れようと考えて、地下鉄サリン事件を敢行したのであり、その発想自体、稚拙で、短絡的であるばかりでなく、教団の利益のためならば手段を選ばず、他人はどうなろうとも構わないという自己中心的で、教団特有の体質に根ざした動機に基づく犯行である。教団は、前示のとおり、社会や国家権力に対する対決姿勢を強め、Bの指示により教団の武装化を推進していたのであり、このような教団の反社会性、武装集団としての性格が地下鉄サリン事件を引き起こした遠因となっており、この点を軽視することはできない。
サリンは、自然界には存在しない人工の有機リン化合物で、生物の神経伝達機能を破壊する兵器用神経ガスとしてナチス・ドイツの時代に開発され、大気中一立方メートル当たり一〇〇ミリグラムの濃度で存在すれば、一分間で半数の人間が死亡するといわれるほど殺傷能力の高い毒ガスである。地下鉄サリン事件は、こともあろうに、化学兵器であるサリンを使い、朝の通勤ラッシュの時間帯を狙って、閉鎖された地下空間で、かつ、混雑した地下鉄の電車内において、同時多発的に敢行した無差別テロであり、日本はもとより世界の犯罪史上でも類を見ない非人道的な犯行である。治療に当たった医師の適切な措置がなければ、より大規模な殺戮の事態を招きかねない状況にあったのであり、人間の尊厳をおよそ無視した犯行である。
この事件は、Bを首謀者として、多数の教団幹部らが、犯行場所、日時、方法、逃走手段、役割分担等につき綿密な謀議を重ね、犯行に用いる自動車の調達、現場の下見、変装用衣類の購入をするなど、周到な準備を遂げた上、それぞれの役割を果たした組織的、計画的犯行である。教団における絶対的存在であるBが、教団独自の教義を背景に、教団幹部らに救済の一環と信じ込ませて実行させた面もあるが、その実態は、人命の尊さを一顧だにしない無差別大量殺人にすぎなかったのであって、救済とはおよそ対極にある蛮行というほかない。
犯行の結果は、訴因に掲げられたものだけでも、死者が一二名、サリン中毒の傷害を負った者が一四名、そのうち重篤な者が二名という深刻なものである。被害に遭った人々は、いずれも、地下鉄を利用していた通勤客や駅構内の職員らであり、もとより何の落ち度もなく、サリンで攻撃されるいわれもない普通の市民であるのに、教団の組織防衛という愚劣で矮小な目的のため、理不尽な犯行に巻き込まれ、その犠牲になったのである。被害現場となった駅構内及びその近辺においては、口から血の混じった泡を吹き、意識を失って倒れ、縮瞳、吐き気、頭痛等で苦悶する者が続出し、数百人もの人々が救急車で病院に搬送されるなど、阿鼻叫喚の巷と化す凄惨な状況であった。死亡した被害者は、いずれも、サリンを吸入したことすら分からずに意識を失って倒れ、その後意識が回復しないまま絶命したのであり、その苦悶、恐怖には、想像を絶するものがある。一瞬にして家族の一員を奪われ、不幸のどん底に陥れられた遺族の悲嘆、絶望、怒りは察するに余りあり、しかも、遺族の中には、悲しみと絶望から、心身疲弊して病床に伏した者も少なくなく、その状況は非惨というほかない。幸いにして一命は取り留めたものの重篤な後遺症によって治癒の見込みさえ立たない被害者もいるのであって、その苦悩、無念さは、死亡した被害者に勝るとも劣らず、その家族の負った悲しみ、苦しみもまた計り知れない。しかるに、この犯行に関与した教団幹部らは、遺族や被害者に対して何らの被害弁償もせず、遺族及び被害者の多数が地下鉄サリン事件の犯人に対して極刑を望んでいるのは当然のことである。
さらに、地下鉄サリン事件は、一般市民を対象にした無差別大量殺人として人々を震撼させ、我が国の治安に対する信頼を根本から揺るがし、無差別テロに対する恐怖と不安に陥れたのであり、社会に与えた影響は甚大である。
ところで、被告人は、地下鉄サリン事件の共謀に加わり、実行役として千代田線の電車内にサリンを発散させたのみならず、誰に指示されたわけでもないのに、自らの判断で、実行役らがサリン中毒に陥った場合に備え、解毒剤等を準備して犯行前に他の実行役に渡し、結果的に、実行役の逃走を容易にするなどして犯行の完遂に寄与したのであり、重要な役割を果たした。また、被告人は、自らが発散させたサリンによって二名を死亡させ、二名にサリン中毒の傷害を負わせたのであって、重大な結果を生じさせた。とりわけ、死亡した二名は、いずれも、地下鉄職員として、乗客の安全と電車の運行の確保という強い使命感から、危険を顧みることなく、原因不明の物体を素手で片付けるなどした結果、命を落としたのである。
被告人は、医師として、誰にも増して人命の貴さを理解していたはずであるのに、このような卑劣な行為に及んで悲惨な結果を招来させたことについては、厳しく非難されなければならない。
2 M1に対する逮捕監禁致死の事件は、Bや教団幹部らが、行方をくらませたM2の居場所をその実兄であるM1から聞き出すために、M1を拉致して教団施設に連行した上、監禁を続けた挙げ句、死亡させたというものである。
Bや教団幹部らは、M2を教団に連れ戻して出家させ、多額の財産を布施として教団に寄付させることを目的として、この事件を起こしたのであり、教団の利益追求のためならばいかなる非合法的、悪辣な手段を用いても意に介さないという独善的な動機に基づく犯行である。
犯行態様をみると、あらかじめ、拉致の場所、手段、方法、実行者の選定、役割分担等について周到な謀議を行い、全身麻酔薬や、拉致に使う自動車等を準備しており、組織性、計画性が認められる。犯行に当たっては、人通りの多い都心部の表通りにおいて、M1が勤め先から出てくるのを待ち受け、人目もはばからず、何ら落ち度のない老齢のM1に対し、数名がかりで背後から抱き上げるなどして自動車に無理やり押し込み、全身麻酔薬を投与して意識喪失状態に陥れた上、上九一色村にある教団施設まで連行し、さらに、教団施設においても、全身麻酔薬を投与するなどしてM2の居場所を聞き出そうとし、一八時間余の長時間にわたって監禁を継続したのであり、大胆かつ非情な犯行である。
この犯行により貴重な生命が奪われるに至ったという結果は重大である。M1は、全身麻酔薬を投与されて意識を失い、その後、完全に意識を回復することのないまま、家族に見取られることもなく、その生涯を閉じたのであり、その肉体的、精神的苦痛、無念さは、想像に難くない。夫あるいは父を突然いわれもなく奪われ、遺骨さえ戻ってこなかった遺族の悲しみは深く、その被害感情は厳しい。M1の長男は、公判廷において、数か月間、M1の生還を祈ってその帰りを待ち続けた末、悲報に接した際の無念、悲しみ、怒りを語り、被告人に対する峻烈な処罰感情を証言している。
さらに、この事件は、マスコミによって大きく報道され、人々に大きな不安と衝撃を与えたのであって、その社会的影響は重大である。
被告人は、当初から犯行に加担していたわけではないが、M1が教団施設に連行されて以降、その時点までの犯行の概要を知った上で、監禁を継続することとし、M2の居場所を聞き出す目的でM1に麻酔薬を投与するなどしたほか、合計約一一時間にわたる長時間、M1が教団施設から脱出することを不可能にさせたのであり、この犯行において重要な役割を果たした。また、犯行後も、この事件に関わりのある信徒らに対し、頭部に接続した電極に電流を流して記憶を消去する「ニューナルコ」と称するイニシエーションを実施するなどの罪証隠滅行為を行ったのであって、犯行後の情状も芳しくない。
3 注射用チオペンタールナトリウムの無許可製造の事件は、Bや教団幹部らが教団施設内において大量の注射用チオペンタールナトリウムを無許可で製造したというものである。
教団では、主に信徒獲得や組織防衛の目的で、信徒らに注射用チオペンタールナトリウムを投与しながら、心の中のこだわりを解きほぐしたり、スパイ・チェックをするなどの「ナルコ」と称するイニシエーションを行っていたところ、このように人間性を無視したイニシエーションを受ける信徒数が増加したことに伴い、注射用チオペンタールナトリウムの消費量が急増したために、敢行した犯行であり、動機において酌量の余地はない。
この事件においては、教団の「厚生省」に所属する信徒が多数関与し、役割を分担して注射用チオペンタールナトリウムを製造したのであって、組織的犯行である上、三か月余りの間に約一七〇〇グラムという大量の注射用チオペンタールナトリウムを製造したのであり、悪質である。しかも、製造されたもののうち、半分以上が「ナルコ」や「ニューナルコ」などの人格を無視したイニシエーションに使われていた点は、看過できないところである。
被告人は、「治療省大臣」として、中心的な立場で、非人道的なイニシエーションを行っていたばかりでなく、Bに注射用チオペンタールナトリウムの不足を報告し、これに端を発してその違法な製造が始まったのである。また、被告人は、製造の過程で中心的役割を果たしたFに対し、注射用チオペンタールナトリウムの構造式等の記載された説明書を渡したり、Fらの合成した試作品の効果を確かめる実験をするなどして協力したのであり、関与の程度も積極的である。
4 G1及びKに対する各監禁の事件は、教団幹部らが、出家の意思のないG1や、甘言に乗せられて教団施設にやって来たKを無理やり教団施設等に監禁したというものである。
教団幹部らは、積極的な信徒獲得の動きの中、G1及びKを教団施設に留め置いた上、出家を強いるなどの目的で、この事件を敢行したのであり、個人の意思を無視した身勝手な犯行であって、動機に酌むべき事情はない。
G1の監禁については、あらかじめ、睡眠薬入りジュース、麻酔薬、自動車等を準備し、多数の者が役割分担をした上で行ったのであって、計画的、組織的犯行であり、Kの監禁についても、多数の者が関与した組織的犯行である。被告人らは、G1、Kのいずれに対しても、麻酔薬を投与して意識障害状態に陥れた上、施錠した個室やコンテナ内の独房等に閉じ込めて監視するなどし、しかも、事件に関連する記憶を消去するため、「ニューナルコ」を施すなどしており、危険かつ悪質な犯行である。とりわけ、当時妊娠していたKに対し、麻酔薬を投与したり、劣悪な環境下に閉じ込めたりした点は、無視し難い事情である。
監禁期間は、それぞれ約一か月半、約三か月と長期間に及んでいた上、G1は、麻酔薬を大量に投与され、意識障害及び記憶の一部喪失まで引き起こした状態で監禁され続けたのであり、Kも二度と出ることができないのではないかという絶望感から自殺をも考えたほどであり、二人が受けた精神的打撃、肉体的苦痛は甚大である。
被告人は、G1及びKの監禁を他の信徒に指示し、自らも監禁の手段として麻酔薬を投与して、犯行の重要な部分を分担した。
5 Oに関する犯人蔵匿・隠避の事件は、教団幹部らが、M1を拉致した犯人であるOの指紋を消去する手術をしたり、東京都内や石川県内にあるホテル、貸別荘等に宿泊させて、犯人を蔵匿するとともに隠避したというものである。
被告人らは、Oが指名手配されるなどした状況の下で、Oの逮捕を免れさせることにより教団の組織防衛を図ることを目的として、この事件を敢行したのであり、動機において酌量の余地はない。
犯行態様をみると、多数の教団幹部らが関与した組織的犯行である上、Oに対し、指紋消去手術や顔面の整形手術を施し、偽名でホテルや貸別荘等に宿泊させるなどして、犯人蔵匿と隠避を行ったのであり、巧妙、悪質である。しかも、この事件は、刑事司法に対する挑戦ともいうべき犯行であり、決して短いとはいえない期間、Oの逮捕を免れさせて、適正な捜査を妨害したのであって、その結果も軽視できない。
被告人は、指紋消去手術や顔面の整形手術の執刀をした上、Oと一緒に各地を転々と逃走して匿うなどし、犯行の主要な部分を担ったばかりでなく、この事件のうち平成七年三月二一日以降の犯行については、自らが提案し、「治療省」の部下に指示して、逃走資金を調達させたり、犯行へ協力させるなどしたのであって、主導的な役割を果たした。
6 右2ないし5の各犯行において、被告人は、医師でありながら、医療技術を悪用し、医師の名を汚したのであり、この点も看過できない事情である。
三 以上のとおりの各犯行の罪質、動機、態様、結果、なかんずく地下鉄サリン事件における残虐性、結果の重大性、遺族の処罰感情、社会的影響等からすれば、被告人の刑事責任はまことに重大であって、これを償うには極刑をもって臨むのが当然であると思われる。
四 ところで、死刑は、犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、殊に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響のほか、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責がまことに重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からもやむを得ない場合に科することが許される究極の刑罰であるから、これを科するには慎重の上にも慎重を期さなければならない。このような観点から、被告人の情状について更に検討する。
1 被告人は、地下鉄サリン事件について自首し、この自首は、被告人の真摯な反省、悔悟の念に基づくものと認められる。
被告人は、自首を決意したきっかけについて、次のとおり供述している。すなわち、自分達の卑劣な行為によって生命を奪われた被害者、その遺族、未だに心や身体に傷を負っている被害者に辛い苦しみを与えたことに思いを到し、中でも、乗客の安全や電車の正常な運行の確保という強い使命感から、文字どおり身を挺して殉じた地下鉄職員の崇高な行動と、本来医師として人の生命や健康を守るべき使命を与えられていたはずの自分が引き起こしたおぞましい無差別殺人行為とを比べ、あまりの落差の大きさに雷に打たれたような強い衝撃を受け、その結果、Bのまやかしに気付き、自らのとった行動が誤っていたと確信し、この取り返しの付かない大きな過ちは、自分の生命を懸けても償えるものではないと胸が張り裂けるような思いがし、せめて自分にできることは、教団の犯罪行為がすべて明らかになるように、何よりもBを始め逃走している信徒らが早く逮捕されるように、また、教団による悲惨な事件がこれ以上発生しないように、自分の知る限りを明確に述べることであると考えて、自首することとした旨供述している。
そして、被告人の供述状況をみると、その言葉どおり、地下鉄サリン事件について自首したのを皮切りに、その後も、捜査、公判を通じ、一貫して、被告人の関与した犯罪のみならず、教団の行った他の犯罪、教団の組織形態、活動内容等に関し、自己の知る限りを詳細に供述し、教団の行った犯罪の解明に多大な貢献をしている。
加えて、被告人の供述が突破口となって、Bを始め教団上層部の検挙につながったことが窺われ、このことは、教団の組織解体と教団による将来の凶悪犯罪の未然防止に貢献したと評価することができる。殊に、教団の武装化が相当程度進展していた当時の状況に照らせば、その意義は決して小さくない。
被告人の供述を更に子細にみると、被告人は、捜査段階から公判に至るまで、記憶違い等による若干の変遷を除いては、一貫して、自己の記憶に従い、ありのままに供述していることが認められる。被告人は、極刑が予想される中、何ら臆することなく供述を続け、しかも、その内容は被告人にとって決定的に不利な事項にまで及んでいるのであり、包み隠さず、すべてを供述しようとする姿勢は、被告人の反省、悔悟の念の深さを示している。また、真実を明らかにすることだけが自分に課せられた最後の使命であり、かつ、人間として当然の責任であるとし、自らの公判や共犯者の法廷において、真実を語り続け、悔悟、改悛の念、Bを盲信して犯行に及んでしまった悔しさ、情けなさ、さらには、被害者や遺族に対する申し訳なさから、鳴咽しながら供述し、時には号泣する被告人の姿に胸に迫るものを感じた者も少なくないであろう。「私は……やっぱり生きていちゃいけないと……思います。」という被告人の言葉には、自己の刑責を軽減してもらおうなどという自己保身の意図は一片も窺われないのであって、まさに極刑を覚悟した上での胸中の吐露であって、被告人の反省、悔悟の情は顕著である。
前記のとおり、被告人らの犯行により死亡した被害者の遺族、重篤な傷害を負った被害者の家族ら多数の者の被害感情は峻烈である。被告人が発散させたサリンによって死亡した被害者二名の妻も、当初は、被告人らに対し極刑を望んでいたが、被告人の公判を傍聴するうち、証拠調べ手続の終了間際の段階で、一名は、公判廷において、「本当に罪を悔いて、本当に謝罪してくれている気持ちがあるなら、一生刑務所の中で罪を償い、主人に謝罪していってほしいと思います。」と証言するに至り、もう一名は、「A1被告の公判の殆どを傍聴して、……少なくとも法廷に於けるA1被告の態度は、私の怒りや悲しみを増大させるものではありませんでした。……様々な想いに心を乱され、言葉で気持ちを表現出来ない状態で証言することは、私の意に反します。」と書いた上申書を検察官に提出して、証人として出廷することを辞退しているところ、両名は胸の内に去来する複雑な思いのすべてを語っているわけではないものの、少なくとも、現段階で、被告人に対して極刑を望んでいると断ずることはできない。そして、このことは被告人の公判廷における供述内容と供述態度が真摯な反省、悔悟に基づくものであることの証左といい得るのである。
2 被告人は、Bが最終解脱者で、絶対的な存在であると信じ、Bの説くところを盲信した結果、地下鉄サリン事件の実行役となることを決意したが、その際、教団と反対勢力との間で既に戦争が始まっていて、唯一真理を実践している教団が存亡の危機に瀕しており、教団が潰されれば人類の救済は不可能になると考え、さらに、殺害される者はBにより「ポア」されて魂は救済されるなどと考え、サリンの撒布がやむを得ない措置であると思い込んだのである。Bの説く内容は、倫理性も論理性も欠如し、まともな宗教家の説くところとは程遠いものであるのに、これを鵜呑みにしたことは愚かとしかいいようがない。しかし、被告人の入信と出家の経緯、教団内での活動状況、犯行前に被告人の置かれていた状況等に照らせば、被告人がなまじ純粋な気持ちと善意の心を持っていただけに、かえって「真理」や「救済」の美名に惑わされ、視野狭窄に陥って、Bの欺瞞性、虚偽性を見抜けなかったとみることができる。そうすると、被告人がCを介してBからサリン撒布の実行役になるように指示された際に、いわゆる期待可能性がなかったとはいえないものの、被告人の心理としてはこれに抗し難かったというべきである。そして、この点は、その限度ではあるにせよ、考慮してよい事情である。
また、被告人が地下鉄サリン事件の実行役に選ばれた経緯をみると、判示のとおり、Cが実行役として「科学技術省」所属の四名を提案したのに対し、Bが被告人をも実行役に加えるように指示したのである。Bの意図は必ずしも明らかではないが、当時の教団の組織形態、被告人の教団内における活動状況等からして、医療技術を必要とする役割ならばまだしも、サリン撒布の実行役を割り当てられるのは、いささか不自然の感がある上、被告人自身にとっても予想外の指示であったことに照らすと、Bが被告人の信仰心に付け入って被告人を利用したものと認められ、Bの指示がなければ、被告人が地下鉄サリン事件の実行役にはならなかったということができる。そして、この点についても、その限りにおいて評価すべき事情である。
3 さらに、被告人は、M1に対する逮捕監禁致死の事件において、犯行を発案、計画に参画したわけではなく、M1を拉致して「第二サティアン」に連行するまでの行為にも関与していなかった上、M1を受け取ってからは、違法な監禁を継続する手段としてM1の身体を管理していたものの、心肺機能、代謝活動、意識状態等に十分配慮し、Eに引き継いだ時点では、M1の身体に異状は認められなかったものであって、被告人の管理状況が死因と直接結び付いているとは考えにくい。
4 加えて、被告人は、医療技術を悪用したことを深く反省し、自ら平成七年一二月七日付けで医籍の抹消を申請し、同月二二日右申請が受理されたこと、発散させたサリンによって死亡した地下鉄職員の遺族に対し、謝罪の意をしたためた手紙を送るなどして、慰藉の努力をしていること、既に教団を脱会していること、教団に入信するまでは、心臓外科を専門とする医師として、国立病院等に勤務し、数多くの患者の生命を救い、それなりに社会に貢献していたこと、業務上過失傷害の罰金前科二犯があるだけで、懲役前科はないことなどの事情も認められる。
五 以上要するに、本件はあまりにも重大であり、被告人の行った犯罪自体に着目するならば、極刑以外の結論はあろうはずがないが、他方、被告人の真摯な反省の態度、地下鉄サリン事件に関する自首、その後の供述態度、供述内容、教団の行った犯罪の解明に対する貢献、教団による将来の犯罪の防止に対する貢献その他叙上の諸事情が存在し、これらの事情に鑑みると、死刑だけが本件における正当な結論とはいい難く、無期懲役刑をもって臨むことも刑事司法の一つのあり方として許されないわけではないと考える。
(裁判長裁判官山室惠 裁判官友重雅裕 裁判官波多江真史は転補につき署名、押印できない。裁判長裁判官山室惠)
別表一〜六<省略>